マジメなおはなし



こんにちは、
マレーシア留学サポートセンター
代表の斉藤です。



今日8月31日は
マレーシアの独立記念日です。

ちょうど60年前の
1957年8月31日に
イギリスから独立しました。

ちなみにイギリスが統治する前、
1941年から1945年までは、
日本の植民地だったんですよー

日本ではほとんど知られてないのが、
不思議ですね〜

第二次世界大戦後、
イギリス領に戻ったのですが、
その後日本は近隣諸国との
関係回復に取り組んでいて、
マレーシアが独立したとき、
すぐに国交を樹立しました。

その独立9日後の
1957年9月9日にクアラルンプールに
日本大使館を設置したとのことです。

ただ、日本が植民地支配をしていたとき、
マレーシア人は日本人のことを
あまりよく思っていなかったようで、、、

2015年に読売新聞の寄稿された
マレーシアのマハティール元首相
によると、

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無論、日本の侵略は私たちにとって
不幸な事態だった。

英領時代、住民の大半は生活に満足していた。
3年半の日本軍占領時代、食料は不足し、
皆貧しかった。

私たちは英国やインドなど
外の世界から切り離され、
孤立を味わった。

2015年8月6日読売新聞より

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とのこと。

当時20代のマハティール青年は、
日本に対するイメージは
決していいものではありませんでした。

ただその後、
このマハティール青年は
マレーシアの首相となり、

日本とマレーシアの関係を深め、
マレーシアの発展におおいに貢献します。

なかでも有名なのが、

「ルックイースト政策」

です。

マレーシアからみた東と言えば、
日本です。

あまりいいイメージのなかった日本ですが、
戦後、驚くような経済発展をみせた
日本から学び、マレーシアの近代化を
実現していこうという取り組みです。

以下、読売新聞より
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64年に下院議員に当選。
70年代、教育相と貿易産業相だった時に
日本を何度か再訪した。

職業倫理、会社への忠誠心に感銘を受けた。
貧しい時代には、しょうゆをかけた一膳飯で、
仕事に励んだことも知った。

ソニー創業者、
盛田昭夫氏の著作を熱心に読んだ。

81年に首相に就任した。
私は権限を握った。

日本での実地観察を生かす時が来た。
日本を手本に、
マレーシアを発展に導く覚悟は出来ていた。
「ルック・イースト政策」を打ち出した。

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これにより、マレーシアから
多くの国費留学生が日本で学び、働き、
そしてその知識・技術を
マレーシアの発展のために発揮されました。

そうした方々が日本の良さを
お伝えいただいたことで、
マレーシアは世界でも有数の
親日国として知られています。

いま日本とマレーシアは
とてもよい関係を築いていますが、
こうした先人のおかげです。

ほんとうに頭があがりません、
心から感謝します。

そして、いま私たちは、
マレーシアから学ぶフェーズに
来ているのではと感じています。

多民族社会のマレーシアが
独立して60年間、
運営されてきたそのマインドは、

多様性の重要さがいわれている時代において
そのことが感覚的に分からない日本人にとって
大きな学びになります。

また、2ヶ国語、3ヶ国語を
話せることが当たり前というマレーシア人の
言語に対するスタンダードレベルの高さは、
日本人にとってこれ以上ない刺激です。

そして、2020年、2025年、2030年と
私たちが主役になって作っていく時代において、
東南アジアの勢いを、
いま、この時代に、自分の肌で感じることは、
とても意味があることです。

歴史の流れを見てみても、
いまマレーシアに留学する意味は多く、
その意義はますます高まってくるはずです。

今日のこの日に、
雨の降る東京で、
5,000キロ離れたマレーシアを思いながら、
ふとそんなことを考えました。



追伸
来週9月4日(月)ですが、
マレーシアが突然、祝日になりました。

お祝い事があると、
いきなり祝日になるマレーシア。

今回はマレーシアで開催されている
東南アジアスポーツ大会で、
マレーシアの選手が優秀な成績を
残しているからだそう。

日本だと考えられませんね(驚)
そう、これが「マレーシア」です!





マレーシア留学サポートセンター
代表 斉藤 高志




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