国際的なものの見方や考え方を身につけたい

尼崎市立尼崎高等学校
普通科2年 李 美蘭さん

マレーシア語学学校「ELC」での授業

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今回のマレーシア語学留学での私の目的は英語を上達させるのはもちろんのことですが、日本という恵まれた環境から離れてみて、違った環境で暮らすことによって国際的なものの見方や考え方を身につけたいという思いがありました。マレーシアへ行くにあたって、不安もいっぱいありましたが、これを機に、自分の視野を広げて将来は国際人として活躍したいと思っています。そのためにも英語は欠かせないものなので、語学学校にいくのを楽しみにいていました。

ELC学校には日本、カザフスタン、サウジアラビア、トルコ、イタリア、リビア、タイ、韓国、イエメンなど、他にもいろんな国の人たちがいました。年齢層も幅広く、みんなの知識の量や分野が様々で英語で会話しながらも学ぶことが多かったです。授業内容はクラスによって違いはありましたが、共通していることは自分の意見や考えを相手に伝えて意見交換をしなければいけないということでした。私が今まで受けてきた英語の授業は、先生が前に立って文法を教えて、それをひたすらノートに書き込む。そして、長文を解いたりリスニングをしたり、ただそれらの繰り返しでした。

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それが、ELCの授業では堅苦しい雰囲気もなく自由に発言できる場で、グループで自分たちの考えを言い合うことを中心としていました。先生はそれを見て回っていて、自分から発言して参加しないと授業が成り立たないという感じでした。私はそういうことにあまり慣れていなかったので、最初はみんなが英語ですらすらと話している姿にただただ圧倒されるだけでした。文法やスペルは私にとっては簡単でしたがその反面、他の国の人たちは文法やスペルを苦手としていました。私が友達になった人の話によると、その人の国の学校では英語を学ぶとき、「なんでもいいからとにかく話なしなさい」と言われているそうです。そういったところで日本と他の国の学び方や、人間性の違いを感じました。


文化の違い

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みんなそれぞれ自分の国の歴史や文化などあらゆることを知っていて会話の中でうまく活用していました。それに比べて、私は大体のことは知っているつもりでしたが、いざ日本に関して聞かれると、それほど知っていることが多くなかったことに気づき、恥ずかしくなりました。そしてその少ない知識でさえも英語で説明することが難しかったです。みんなどのトピックに対しても自分の考えをもって発表していてとにかく知識が豊富で、自分の知識の少なさを痛感しました。授業では、私の英語の発音にはアクセントがなくてわかりにくいとか、“Don’t be shy!!”と何度も言われました。話したいことはいっぱいあって頭の中には浮かんでいるのに、それにあたる英語がすばやく出てこなくて上手く言葉にできませんでした。でも発表することが「恥ずかしい」という気持ちを一切感じさせない空間でした。悪く言えば頑固で自分勝手、自由奔放と言えますが、積極的で行動力があり、自分をしっかり持っていると言う点で私たちが見習わなくてはいけないところでした。

日本では、「他と違っていると間違いだ」とか「みんながこうだから自分も合わせる」という傾向があり、私もそれが一般的な考えだと思っていました。でも、こうしてはじめて海外に出てみて、いろんな国の人たちと接して「他と違うのはすばらしい」と、思えるようになりました。ELCには「みんなと同じように」と思っているような人は一人もいませんでした。今まで私は、周りと違うことで目立ってしまうことを恐れていたのかもしれません。本当に考えさせられました。


ルームメイト

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学生寮のルームメイトはカザフスタン人、あとは夏休みの時期だったこともあり、日本人が多めでした。カザフスタンの人は将来医者を志望している子どもたちの先生をしていると言っていました。彼女は頭がよくて、やさしく私に英語を教えてくれました。私が英語をうまく話せないと言うと、彼女は“Don’t say can’t. You can! You must say I can!”と、とてもポジティブなことばをかけてくれることもありました。また、イスラムの人なので外に出ているときは頭を布で隠していましたが、家ではそれを外している姿を見ることができました。素顔は肌がとてもきれいで美人だったので、隠しているのがもったいないと思いました。でも素顔は、女性にしか見ることができないものなので、少し得した気分でした。


ヒロシマ

段々と英語にも慣れてきて、休み時間にはいろんな人と話すようになりました。ある日、私はトルコ人の男性と日本について話していたとき、彼は、話の中で広島の名前を何度も出していました。そして、私は広島のことを聞かれたので、いろいろな話しをして、私も行ったことがあると言いました。すると彼は大変驚いた様子で「そんなはずはない!戦争時代アメリカが原爆を落として大変なことになったのだから人は住めない!」と私に言いました。私は彼の必死さにびっくりしました。ちゃんと説明はしましたが、日本のことを誤解している人がいるのだなと思いました。自分の国について話したり、相手の国のことも聞いたりして、国の間に生じた誤解が自分によって解けていくことに嬉しさを感じました。また、違う国の人たちがこうしてひとつの場所に集まって英語で話し合っていることに何度も感激していました。こういう風に、これからもっと国や文化の異なる人たちが集まって少しずつでも理解が深まっていけばいいなと思います。


マレーシアと日本

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休みの日にはバトゥ洞窟、ペトロナスツインタワー、チャイナタウン、モスク、そして私が一番行きたかった世界遺産のマラッカに行ってきました。マラッカは町並みがきれいで、景色もよく、そこで食べたニョニャ料理はおいしかったです。セントポール教会とザビエルの像も立派で、そこからはマラッカ海峡も見えました。サンチャゴ岩や大砲は戦争当時を思い浮かばせました。


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マレーシアは治安がよく住みよい国だと言われていますが、想像していたよりも道がきたなかったり、交通がしっかりと整備されていなかったり、道端に座ってお金をかごに入れてくれと物乞いする人を何人も見かけました。日本でも全く見かけないわけではありませんが、あまりにも多くて驚きました。


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日本にいると新聞やニュースではこういったことがあると聞いて知ってはいましたが、実際に見て、事の深刻さが伝わってきました。他の国に比べれば随分ましなほうとは思いますが、なんでも日本と比べてしまいました。日本では当たり前だと思っていたことが、海外にきて、私は、とても住みよい環境で、いろんなものに守られて、ぬくぬくと生きてきたのだと思い知らされました。


自分の可能性

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今回このような留学の機会を与えてもらい、国際交流協会や尼崎市教育委員会のみなさまにサポートしていただいたことにとても感謝しています。自分自身が成長できたのかどうかはっきりとわかりませんが、世界の見方や自分の将来についての考え方に影響を与えてくれたのは事実です。苦手だった英語も楽しみながら勉強することができたので、もっと上達させたいと意欲も出ました。この4週間、英語づけの生活だったせいか、帰りの飛行機の中で日本語がいたるところから聞こえてきて違和感がありました。英語から離れていくのが怖くなりました。また、ELCで出会ったみんなと別れるのがつらくて涙が止まりませんでした。この留学での体験や思い出は私の一生の宝物です。今回の経験を生かして、これからもいろんなことにチャレンジしていきたいです。そこら中に転がっているチャンスを無駄にせず、拾って自分の可能性をどんどん広げていきたいと思います。





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